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仙台家庭裁判所 昭和30年(家)1973号 審判

国籍

ドイツ

住所

仙台市○○○町○○番地

申立人

エルモー・ジヨントン(仮名)

国籍

ポルトガル

住所

仙台市○○○町○○番地

申立人

エルモー・アリス(仮名)

国籍

日本

住所

仙台市○○○町○○番地

事件本人

松井・ジユリー(仮名)

主文

申立人と右事件本人松井ジユリーとの養子縁組を許可する。

理由

申立人は主文同旨の審判を求め、その実情として述べる処によれば申立人エルモー・ジヨントンは、一九四二年独乙海軍軍人として渡日し(十三年前)、その後三年間捕虜として神奈川県箱根に於て生活し、解除後一年間横浜市に居住、一九四八年仙台市に於て洋服裁断師を営んでいる。そして一九四六年三月○○日箱根に於て申立人と事実上婚姻し本国に届出手続をしたが、正式受理に至らず、今般改めて東京都所在の独乙大使館と打合せた結果、本年九月○日宮城県仙台市本荒町六拾四番地仙台法務局所属公証人○○○○役場に於て同年九月○○日申立人間で婚姻をした事実について公証を受け、同大使館へ届出する手順となつた。

右の如く申立人間には結婚後十年間を経過するも子に恵まれず、適当の養子を迎えたく望んでいた処、申立人の使用人の知人である仙台市○○町○○番地居住の佐藤よしに於て混血女児を養育しているが、生活上相当困難のため、右養育子を適当の方に養子に遣りたいとの由を聞いたのでよし方を訪ね、直接幼児を見分し養育者と懇談した処、同人の話によれば、山形から来た自称井田京子と言う女子が同人と某米国軍人との間に生れた混血児を連れて佐藤よし方に下宿した。処が間もなく之の幼児(事件本人)を差上げるから養育して呉れとの置手紙をして行方不明となり爾来約二年間余養育している。依てその養育費を慾しいとの事、結局養育料一時金五万円の外、一ケ月二千円宛十三ケ月を支払い、貰い受くる事とし、一九五四年三月○○日事件本人を引取り養育し、引続き宮城県中央児童相談所に相談し総て手続方を依頼した。右の次第で事件本人は無籍である処から、昭和二十九年十一月○○日仙台市長の調査により本戸籍を調製した次第である。そして事件本人は未成年につき前記後見人が就任し、同後見人は本年九月二十六日未成年者事件本人に代り申立人との養子縁組を承諾したので縁組は適法に成立した。依て此際正式に許可を受けたいというに在り、尚、申立人は西独乙国に属し、終戦後西独乙では養子縁組について当事者が住所を有する国の法律に従うことになつている、と大使館と打合せの際聞きおよんでいる旨附言した。

依て当裁判所は申立人及後見人を審問し記録添付の戸籍謄本並に仙台法務局所属公証人○○○○作成の申立人間の婚姻確認書を参照し又事件本人を見分した結果、同人は、日本女子と某米国軍人との間に出生した混血女児であつて申立人及後見人の各陳述、且記録添付の前記各附属書類はいづれも真正に成立したものであることは明かであり、又申立人本国法に於ては養親となるべき者は満五十年以上なることを必要とするが年令に対する要件は緩和規定があり、本件については申立人政府の許可を得らるゝことが推測し得るし、そして養子の発育はよく、縁組によつて養子の福祉を増進することが推認し得るので、日本国民法第七百九十八条法例第十九条に則り主文の通り審判する。

(家事審判官 森武雄)

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